違いを書くぞ ブログ

どうにも他の武術などの技術と同一視されているので、その違いをあらゆる方面から書き込んでいきます。
他ではみられないアプローチ。
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     当然、当会を主催するにあたり、その初期段階では他の本も色々とかなり読みました。

    しかし、それにしても、わたしはその初期の段階から、‘合気’を‘相手の力を抜く、合気’と‘その他の合気’とに別けていました。そして初めから、‘その他の合気’には殆ど興味がありませんでした。

    本当に多くの人たちは、この違いはどうでもよいことのようで、この違いを云々しているところなど見たことがありません。寧ろ、この違いを云々しているわたくしどもの方が少し違和感を持って眺められている様子ですが・・・。

    そして研究を更に続けていくと、通常の運動物理学、運動科学から‘合気’を分析なさっている技術は、明らかに、科学的に分析できる技術であり、科学的分析のままにその効果も限定的です。

    しかし、残念ながら、わたしはこういた科学的に分析の出来る技術に興味はありません。どうやったって、興味の尽きないのは、‘相手の力を抜く技術であり’、この技術を指してわたしは、‘合気’と呼んでいます。

    多くの方が勘違いなさっているのは、

    この科学的分析によって‘合気’が一段と我々に近づき、更なる研究で、‘合気’はもっと身近になるだろうと無意識に思いこんでいるという事実です。

    詰まり、この科学的分析の‘合気’も、‘相手の力を抜く、合気’も同じベクトル上にあるものと信じて疑わない人の如何に多いことか。

    はっきりと申し上げますが、これは当会の見解でもありますが、‘相手の力を抜く、合気’と‘その他の合気’はまったく別物です。

    どんなに頑張ったところで、‘その他の合気’から‘相手の力を抜く、合気’へ、とは移行しません。まったく別物だからです。

    こういった意味からすると、当会の解析は、他に類を見ない特殊な解析から解説を行っています。

    既に去年の状況から、稽古の時に、「今、言っていることは、他の本で見たことがない。何処にも書いていない」を連発していますし、

    そして何より、他で少々やったからといってその根本が他と違っているわけですから、どうやったって応用が利くはずありません。

    こちらに来られると、他と違ってまったく違ったアプローチからの解説で稽古を始めないとならない状態になります。
    | - | 19:16 | comments(0) | trackbacks(0) | | ログピに投稿する | ↑PAGE TOP
    他と比べて難しいということをいいたいのではなく・・・。
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       ここで書いている他の技術と違うということは、難しいということと取られては困るんです。ですが、大概の方はここでわざわざ書くということは、難しい技術をやっているということを書きたいんだなと、取ってしまわれるのではないでしょうか?
      どうも、元々わたしはそういった発想をしないので、本当は、そういった発想が分からないんですが、今迄当会に入られて、こういった方々が多かったので、そういった方々向けに一々気にしないとならないことになってしまいました・・・。
      もともとはHPも開放していましたが、ネットで色々書かれ、でも、知っている方にはそれでも一々説明していたんですがキリがなくなって、面倒臭いのもあってMixiなんかも限定公開にしました。
      とはいえ、それでも少しは知ってもらおうという気がまったく無くなったわけではなく、少しずつ遠慮や気遣いを少なくして書いていこうかなと再び思い始めて、今こうして書いている次第です。
      ここで書こうとしていることは、難しいと自慢しているのではなく、
      こういった感想を暫く受けていると、一体何を気にして書けばいいのか、わたしの中では迷いに迷って分からなくなってしまいますが、
      本当に伝えたい技術のことだけを書いているのです。
      寧ろ、本当のことを隠して、分からないようにしている人が称えられ、こうしてすべてを正直に書こうとしていると、自慢か?などと書かれる始末・・・。
      さて、他の技術をやっていて、更に突っ込んで考えてみたい、或いは、他で習っているが直接教えてくれないので、何かヒントはないか?と、来られる場合が非常に多い当会です。
      基本的に武術は、教えません。自得する以外手はありません。教えたとしてもヒントしかいってくれないのが普通です。
      そういった意味では当会は普通ではありません。異常です。すべて教えてしまいます。
      ところが、受け取り手が非常に悩んで、考えに考えた末に当会に来られると、その意味が取れるんですが、安易に、考えもせずに、要領だけ教えてもらおうとして来られると、まったくその意味が取れません。
      これは確実、当会の今迄の経験で、断言出来ます。
      長年やって来て分かることは、当会のやり方は結果的に、どうも脳まで、考え方にまで影響を及ぼすようで、発想自体も変わってきます。
      というか、そもそも、発想を変えないと出来るはずがないと分かっているのですが・・・。
      で、ここでまた変な気を遣って書きますが、発想を変えるといっても、マインドコントロールではありませんからね。
      そもそも、常識の建前の中でこの技j通を理解しようとしても、そもそも無理なんです。どんなにしたって常識の世界からはこの技術は理解出来ないんです。
      詰まり、初めから、発想自体を変えないと近づけもしない技術ということがいえます。
      と、こう書くと、発想が変っていない人からすると、そら、難しいと自慢しているとこの時点でもう理解するのが無理になっていますよね。
      | - | 19:02 | comments(0) | trackbacks(0) | | ログピに投稿する | ↑PAGE TOP
      最も困ること・・・。
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         当会が一体どういったことをやっているか知らずに入会される場合があります。そういった方たちは、自分が知っている知識を元に、だいたいこうだろうと予想を立てておいでになります。
        ここでは、もう何度も書いていますが、当会は他とまったく違ったことをやっています。もう、何度も、何度も口を酸っぱくしてお知らせしていますが、何も知らないで入ってこられる場合があって、こういった場合が非常に困ります。
        武術経験のある方は、自分がやっていた稽古を元に想像してこられます。武術経験のない方は、素直に従おうとお思いになってこられるようです。
        ですが、このどちらも非常に困るんです。
        武術経験のある方は、そもそも、その発想からして経験された武術と同じことをしようとしますし、武術経験のない方は、素直に何でも言うことを聞こうとされますから、一見、非常にいい姿勢のように思われるでしょうが、どちらも、困ります。
        武術といっても、当会がやっている技術は特殊で、体術の範疇に入れるのもどうかな?と、思える技術だからです。それを普通の体術、今迄やった技術を使ってどうにかしようと発想されますから、どうやったって、話が通じない。
        ここでは、話しが通じないという表現を使いますが、実際には、経験を元にやったところで、何も出来ないんです・・・。
        経験が使えない以上、一からということになりますが、そもそも経験者がその経験を捨てて、白紙の状態に戻せるのか?というのが最大の問題です。
        未経験の方は、では、素直でいいのではないか?と、思われるでしょうが、この技術は技術であって、技術ではない。寧ろ脳の技術であるといえるわけですから、素直に聞かれても困るわけです。
        身体は動かすが、体育の回路ではなく、寧ろ、所謂、考える方の頭の回路を使うからです。自分が今、何を考えているか適確に分かっていないと始まらない・・・。
        そう、待ちの姿勢では話にならないわけです。
        ですから、当会がいったい何をやっているのか?よ〜く、調べられてから起こしになった方がよろしいかと思われます。
        | - | 20:04 | comments(0) | trackbacks(0) | | ログピに投稿する | ↑PAGE TOP
        少しずつ遠慮をなくしていきましょうかね・・・。
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           殆どの人はここで書かれていることが分からないはずなんです。しかし、僅かでも分かる人がいて、何か面白そうだからやってみようかと思う?そういう人に向けてこれを書いているんですが、残念なことに殆どの人は分からない。分からない人の方が断然多いはずなんです。そういう人たちが集まって「それ違うでしょう」といわれたところで、それに対応する気は毛頭ありませんが・・・。
          それでも良いと思う方だけ、お読み下さい。

          だとしても相当、気を遣って書いています・・・が。

          他のところがやっている「合気」の殆どは、技全体を指して「合気」といっているようです。

          わたしの解釈は違っていて、というか、わたしが目指している技術はそうではなくて、所謂、‘合気’の部分で、相手の「力」を抜いて、それから技を掛ける。だから二段構えなんです。

          でも、普通の発想をする人にとって、二段構えは速度、反射神経で対応されるとどうにもならないと考えるだろうと思います。

          だから、それはごく普通のスポーツ的発想で、

          だから、殆どの他のところは、‘合気’が分かってないといっているのです。

          ‘合気’の技術は、

          相手の「力」を抜きます。

          初めに相手の「力」を抜いているわけだから相手は反応が出来ません。だから速度、反射神経は関係なくなります。

          多分、ここからして分からないだろうと思います。

          そもそも、普通のスポーツや武道にはっきりと相手の「力を抜く」などといった技術の記述など、何処を探してもありません。

          だとしても、

          同じ人間だから、やることは同じだろうと勝手に推量して、他のところの「合気」も同じだろうと推測して他のところの解説を聞きかじって、色々やっている人が如何に多いことか。

          わたしから見ると、まったく違うものです。

          そもそも、‘合気’と、別の力を遣って二段式の技などといっているところはありません。技全体を指して「合気」といっているところが殆どです。

          詰まり、これは、「力」技でしかないといっているようなものと読めますが、殆どの人にはその判読が出来ませんというかこういった違いなど多くの人には意味がないんでしょうね。わたしからすると、最も重要な要素、部分なんですが。というか、これを指して‘合気’と呼ぶのにというほど重要なことなんですが・・・。殆どの人には分からない・・・。
          | - | 20:15 | comments(0) | trackbacks(0) | | ログピに投稿する | ↑PAGE TOP
          技術の違い。
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             を、書くために始めたブログですが、しかし、実際には、こちらで実際に稽古をしてくださっている方でもなかなか他の技術との違いを認識出来ません。

            そもそもこの技術は他の技術と根本的に違っているのですが、しかし、多くの人たちが見えるのは身体ですから、身体に違いがないように、この技術と他の技術の違いを認識することすら出来ません。

            色々話をします。解説もします。要領も話します。アドバイスもしますが、目の前で話していてもなかなか話が通じません。というか、どうしても言葉ですから、言葉を聞いてその言葉を解釈するのは自分ですから、自分が分かっているような話に内容を変えて解釈してしまいます。

            こう書くとこちらで稽古をしている人たちが駄目な人達なんではないか?と、思われるかもしれませんね。しかし、今残っている方は武道経験の長い方か、他の武道をなさっている方か、治療関係の方か、コーチの方です。寧ろ、何もなさっていない方の方が少ないです。

            他の多くのところでは、出来ないまでも解説されて理解は出来るでしょう。しかし、こちらの技術は、話すらなかなか通じません。

            実際に最も大きな問題は、常識に縛られた方には出来ないという事実です。といっても、摩訶不思議な妖術を使うわけではありません。寧ろ、却って妖術の方が掛け離れていて分かりやすいかもしれません。

            ここでやっている技術は見た目まるで同じなのです。動き方に特徴などありません。しかし、出来ている人と、出来ていない人のその効果の違いは一目瞭然です。

            詰まり、動きで解説出来なのです。

            所謂、他の武道では、それぞれ特徴ある動きで技が為されています。その特殊な動きを身体で覚えさせる稽古を続けます。その特殊な動きを覚えることによって特別な効果が得られます。しかし、この技術は、動きに特殊性などありません。

            内容が他と違っているのです。

            だから武道経験者の方や現在他の武道をなさっている方、治療関係の方、コーチの方でもその内容がなかなか理解できないのです。

            しかし、やっとこの技術の核心が現在残って稽古を続けてくださっている方に少しずつ浸透し始めています。

            明らかにこの技術の内容が理解できると、動きはまったく同じでもその効果が激変します。それがだんだんと皆さん少しずつ出来るようになってきています。かなり長い苦労の末に伝わりつつあります。

            まだ誰も出来ない頃は、常識を盾に色々と言われたりもしました。やっとここへ来てどうにか数人の方が変化を見せて変ってきています。やっとわたしが言っていたことが正しいと出来る人が増えて少しずつ証明されつつあります。

            本当に苦労したのは、同じ日本語だし、内容が言葉としては直ぐに理解できるのに、その深い意味が伝わらないことでした。

            解説して、アドバイスしてハイハイと理解してやってみると、効果がまるで違う。或いは、出来ない・・・。

            この状態が我慢できない人達は直ぐに辞めました。恐らく普通のスポーツと同じつもりで入って、なかなか出来ないのは、アドバイスが悪いからだと短絡的に考えたようです。

            本当に我慢強くないと出来ない技術かもしれません。言っていることは直ぐに理解出来るのに、効果が現れない。或いは、出来ない状態が続くからです。そうすると短絡的ない人は、指導者が悪いと考えたようです。

            そんな安直な技術ではありません。そもそもここからしてひょっとすると現代では通じないのかもしれませんね。多くの方が辞めました。しかし、やっとその我慢した甲斐があってやっと少しずつ伝わり始めていると実感しています。

            ですから、そもそもただ文章だけで伝わるはずなどないのですが・・・。だとしても再び書き始めるつもりですから、少しずつ書き続けようかと考えています。
            | - | 19:36 | comments(0) | trackbacks(0) | | ログピに投稿する | ↑PAGE TOP
            誰にも出来る技術。
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               当会を始めた頃、この技術は誰にでも出来る技術だと謳いました。しかし、長年、会員の皆さんと稽古を重ねるうちに、どうも、そうではないなというのが実感として固まりつつあります。
              どんなに言葉を尽くして説明しても、理解すら難しい・・・。といっても所謂、自分だけに理解出来る言葉を遣って説明するというのではなく、出来るだけ誰にでも理解できる共通の言葉を遣って説明しているのに・・・。
              説明が下手なのではありません。
              どうも、感覚としてないものを説明しているようなのです。とはいっても‘気’だとかいわれるものとは根本的に違っています。わたしにとってははっきりとしている身体の感覚の話をするのですが、どうもそれが通じません。恐らく普通の人には感覚としてないものだからでしょう。
              とはいえ、共通性があると思えるのは、もう一人、師範をお願いしているTさんもまったく同じことをみんなに話しているからです。
              ところが、Tさんの話は、わたしは、「ウンウン」と頷ける。わたしの話しをTさんは納得できる。
              でも、普通の人は、「ウンウン」とか納得といったことにはならないのです。
              そして二人、わたしとTさんに共通するものは、既に身体の状態が普通と違っているという事実です。
              どうも身体が変ると思考方法そのものも変るようです。
              次回からはそういった更に細かところの話しに突っ込んでいきます・・・。
              | - | 20:44 | comments(0) | trackbacks(0) | | ログピに投稿する | ↑PAGE TOP
              身体を見る。見方の違い。
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                 わたし自身はこの技術をやっていて自然に身体を見る目が育って、整体治療が出来るようになりました。

                そういった意味では、他の身体の技術としてやっているところの技術でも同じように整体治療をおやりの方もたくさんいらっしゃいます。

                他の技術としてやっているところの整体は、やはり身体の技術としての手わざ療法です。

                では、この技術の手わざ療法との違いは?

                所謂、この技術はただ一方的な技術ではありません。その状態を見て、正しいも、間違っているも無い、ただ、事実を見て、それをどう処理するか?の、技術です。

                はっきりと他のところとの違いは、他のところの技術はやり方の技術なんです。

                当会の技術はやり方の技術ではなく、その時、どう処理するか?の技術なんです。やり方で教えられないんです。

                まさに、これが初期段階で当会が遭遇した最大の問題だったんです。

                多くの人たちはやり方を教えて欲しがった。しかし、この技術にやり方は無い。その時どうするか?という発想が出来るか?に、掛かっている技術なんです。

                手わざ治療法で解説すると、多く他のところの技術は、身体を物とみなして、どうやるかというやり方、方法論で成り立っています。

                しかし、この技術では、身体は物ではなく一人一人まったく違った状態を示す個性溢れる有機体なのです。一人一人まったく違っているのに、同じ方法論ではとても対応出来ないはずなんです。

                この技術を基にした整体術では心も含め全体を診ます。又、全体を見極めないことには何からやればいいのかさえ分かりません。

                通常の整体は、筋を主に見る技術。骨を主に見る技術。皮膚を主に見る技術。と、それぞれ特徴を持っています。

                この技術では、それら全体を診た上に、エネルギーの流れや心理的な心の動きも見なければ結論付けられません。全体を見極めない限り整体を始められないのも確かです。
                | - | 18:07 | comments(0) | trackbacks(0) | | ログピに投稿する | ↑PAGE TOP
                身体の要素。
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                   この技術をやっていると身体にはそれぞれ違った要素があって、違った効果を出す。と、いうことに気がつきます。

                  しかし、通常は身体は骨と筋肉と内臓と血管と流れる血液、諸々で出来ていて・・・と、なり、「力」を出す時にはこの角度で、こうやって・・・。と、なります。

                  しかし、実際にはこうはならないのです。

                  しかし、(これは、しかし、の、しかしです。)同じ考えの人たちとスポーツや武道をしていると同じ理屈で身体を操作しますから、ほぼ同じことが現実化します。

                  しかし、(又、ここでしかし、です・・・ね。)一部、特殊な才能があるといわれる人はどうでしょう。同じ理屈でやっているはずなのに、効果が悉く違う・・・。そう、同じ筋肉で角度でとやっているはずなのに、効果がまったく他人と違う人がいる。

                  これなんか見ると、殆どの人は、才能であり、身体であると考えます。勿論、少し考える人で、努力も含まれるということを知っていますが・・・。

                  でも、実際にはそうではないんですね。この技術の観点から見ると・・・。

                  「力」そのものにも種類があって、色々の効果がある・・・。

                  むかし、本当に初期の頃、この会を始める前に、この「身体力学研究会」という名称を使い始めたのですが、月日が経てば経つほど、この「身体力学研究会」という意味が深まっていきます。まさかこれほど深い意味があろうとはその時まったく思いもしませんでした。

                  因みに、今では冠に、‘無術’というのを戴いております。

                  話を戻します。

                  身体を作っている要素は、骨であり筋肉であり、云々・・・ですが、身体の状態がすべて同じというものではないのです。

                  所謂、普通のスポーツや武道をやられている人の身体は、主体が筋肉であり、「力」なんです。

                  しかし、この技術をやっていると主体は、身体そのものになります。

                  どこが違うんだと思われるでしょう?同じ身体なのに、その効果が全然違うということになるんです。

                  他とどこが違うか?ということをずっと書いていますが、通常のスポーツや武道は、身体を動かして効果を出します。所謂、運動能力といわれるものは身体を動かす能力のことをいいます。

                  しかし、この技術では、運動能力以外のことを主体にします。

                  詰まり、身体を動かして効果を出すのと違う方法を使います。

                  とはいえ、この身体を動かす、動かさないが解釈の違いか?何か?と、お思いでしょう?

                  この場合の、身体を動かす、動かさないは、

                  筋肉を絞って動かす所謂、運動能力を使って効果を出すのと、

                  筋肉を縛らないで身体そのもので効果を出すかの違いです。

                  動いている風は、同じに見えます。

                  しかし、効果がまるで違うのです。

                  とはいえ、これは観念ではなく、対人で稽古をすると速効で効果で確認できます。詰まり、ただ、概念で言っていることはそうだろうが、実際には・・・。と、いうことが実際には多くありますが、この技術の場合、相手、人にその効果がはっきりと現れるのです。だから実際、こう考えているが・・・。などと言って言葉で誤魔化しても、直ぐにばれてしまうのです。それは効果を見れば直ぐに分かるからです。

                  とはいえ、この効果の違いが分かるには少し時間が掛かります。

                  今までは、わたしひとりが分かっていて、どうにかやってきましたが、現在では、少なくとも数人はこの事実の違いを理解して、実際に身体で表現できます。

                  時間は掛かりましたが、少しずつ、少ない人たちですが、一緒に頑張ってやっています。
                  | - | 19:29 | comments(0) | trackbacks(0) | | ログピに投稿する | ↑PAGE TOP
                  今回は・・・。
                  0
                     少し違った角度から書いてみたいと思います。

                    武道というものは、通常、上意下達。徹底して師匠の言うことをそのまま一言一句違わずに理解しないとならない世界です。途中で変えるなど以ての外です。それが流派というものです。

                    そういった意味を理解した上で、しかも、その意味のことはしないつもりを示す意味で、「身体力学研究会」を作りました。そして、普通の人が考えている以上に「力」というものはバラエティー富んで、色々の現象がそれぞれ違って現されるという意味も含んでいました。

                    詰まり、名称にその殆どの意味を含めていたのですが・・・。

                    さて、当会はずっとその意思に従って運営、並びに稽古をしてまいりました。

                    通常の武道がやる、上意下達。一言一句違わない技術の継承ではなく、殆ど多くの人たちが理解しない、考えもしない技術がそこに存在はするが、発現出来ないという技術の探索を主目的とする会の創設。

                    詰まり、何をやってもいい。のだが、その主目的は、殆どの人が理解し得ない技術の発現。

                    すると、多くの人たちの、強くなろう、最低限使えるもの、分かり易いものということと悉く違ったことになります。しかし、それはそれで仕方のないことです。通常の常識からするとそもそもそういった考えをするのは極普通で、そういった目的のために武道を習うのですから・・・。

                    しかし、残念なことに当会は、初めからその名称、「身体力学研究会」にすべてを表現していたのにも拘らず、理解されませんでした。とはいえ、現在残っている方々には深くそういったことを理解された上に、殆どこの有り得ない技術の再現というものに拘って静かに深くそして真摯に稽古を続けてくださっています。

                    又、今年に入ってからも進展目覚しく、更なる技術進化を遂げて「身体力学研究会」の初期の頃よりの意味も含め更により以上の深い意味を込めて、‘無術’と冠をつけました。

                    当会は、、「上意下達」ではありません。それぞれ自由な研究を主目的としています。研究目的は、殆ど有り得ないといわれる技術の技術探索です。技術探索以外に情熱を掛けるものはないと信じています。

                    余計な組織論や技術的に正しい、正しくないはなく、あらゆることを試さないと目的は達成されません。又、常識的なことに拘っては最も目的から遠くなります。

                    そういった意味では上下関係もかなり薄く、研究はかなり自由です。そのすべての情熱を技術探索に向けなければならないからです。

                    武道でこういった趣旨でやっているところは皆無です。
                    | - | 21:03 | comments(0) | trackbacks(0) | | ログピに投稿する | ↑PAGE TOP
                    Nさんとの稽古。
                    0
                       何度かここで取り上げたマッサージ師のNさんとのマンツーマン稽古ですが、今日の稽古でも又、他の技術との違いで際立つ違いのエピソードを披露してくださいました。しかし、これは長年のお互いの稽古の成果といっていいものだと思います。
                      わたしは、どうして他の人が分からないのか?が、ずっと分からない?でした。伝わらない、伝わらないという表現を常にして参りました。Nさんは、ある意味、ガチガチの知識派で、今まで自分がやった技術、或いは、他の技術の技術書で得た知識をこれに応用しようとずっとやってこられました。
                      何度も何度もわたしが解説することと、他の技術の融合を考えてやってこられました。
                      しかし、二次元で考える。というのと、三次元で考えるという観点の話から、ひょっとすると、自分は視点が違っているのではないかと気付いたといいます。
                      そう、ニ次元で考える人に、幾ら三次元の話をしても、目線を二次元から変えない限り、三次元の話は伝わるはずがなかったんです。
                      Nさん曰く、きっと目線が違うのではないか。だから、重心の話を聞いても理解できなかったんじゃないか?と、気付いたそうです。なるほど、そう聞くと、そのようです・・・。
                      何しろこちらは、当たり前のことを話しているから違いが分かりません。Nさんとの稽古でその違いをこちらが教えてもらうということになるのです。そして、
                      「先生のこの技術の話と、他の技術の話を混同して、なにしろ、動き自体は、合気道とか他の技術とそっくりですから融合させようとそればかり考えていたんです。でも、他の技術とまったく違うということが、視点の違いを考えていると分かったんです。今までは自分目線でしか見ていなかったんです」
                      正に、この技術と他の技術の違いを示した言葉です。
                      「初めから分かっていれば他の技術と混同しないでこの技術だけを考えればよかったんですが、動きが何しろそっくりなんで応用が利くものと思ってました・・・」
                      この違いが分かったのが、視点の違いだそうです。自分を含めた、相手と自分を含めた全体で見ないといけないということになかなか気が付かない。自分の位置からしか見れない。だから、先生の言っていることと、こちらが理解していたことがずれてくる。
                      そして、Nさんはわたしは常識派だから、無意識に常識として捉えていて、その常識とこの技術を無意識に融合させようとしていた。それに気が付いた今でも無意識に常識として理解してしまうところがあるので、だから色々話して、どこか勘違いをしていないかチェックしないといけないんです。だから色々話さないといけないんです。
                      そして、Nさんがやることは、わたしにとってもこの違いを教えてもらえるという効果がはっきりとあります。一般の方に詳しく、分かり易く解説できるようになったのは、Nさんのおかげが大きいと思います。
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